小谷クリニックでは外来一般診療の他、定期往診・訪問看護などの在宅医療にも取り組んでいます。

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コラム

家で看取るということ

2012.5.26 / 3:05 PM

本年4月26日、直腸がんのYAさん(81歳女性)の在宅での看取りがありました。御遺族から、ホームページ掲載を承諾された原稿を頂くことができましたので、披露させていただきます。

YAさんは2009年8月に直腸がんの診断で当クリニックから横浜市大病院に紹介、手術や化学療法も受けられ元気に過ごされていました。しかしその後再発があり、大学病院での積極的治療は全て終了されたのち、在宅での緩和医療のため、2011年7月から訪問診療(病状の落ち着いた方への定期的な往診)を始めていた方です。

訪問時に、往年のスター歌手:三浦洸一が好きだと言うので、インターネットで入手した「踊子」をiPodで聴かせてあげたらとても喜んでくれたYAさん、まだ意識のある4月21日には「もう点滴も要りません。ありがとうございました。」とはっきり意思表示をされたYAさん。目を閉じれば今でも、はっきり思い出すことができます。

原稿を書いて頂いた御家族への謝意と、今は天国にいらっしゃるYAさんへの弔意を改めて表し、前文とさせていただきます。

合掌

院長 小谷利克


二年八ヶ月前、確か七月の中頃、母が体調不良を訴えた。母も、そして私も癌だとすぐに思った……。本人は一年くらい前から、様子がおかしかったようだが、外出が減ってきた母を私は「年をとってきたのかな?」くらいにしか思っていなかった。さあ、ここからが始まりだった。

まず、かかりつけの小谷クリニックで診てもらい、大学病院へと。二ヶ月の間に直腸癌の手術をし、人工肛門を設置し、母は元気に家に戻ってきた。年齢の割には元気でしっかりしているからと、約一年に渡り放射線治療や抗がん剤治療をやったが、体重の減少や効果があまり見られないことなどから、大学病院での治療の術が無くなり、先生からは「じゃあ、どうする?」という言葉が…
…。

つまり、ここからお迎えが来るまでの期間どう過ごすかを、本人と家族が決めなくてはならない時がきたのである。緩和ケアのある病院の順番待ちをするか、介護認定すら取っていない、しっかりした母に施設を探すかの選択を迫られた。

以前から母は「年取ったらこの部屋に転がしておいていいからね」とよく口にしていたので、一番の希望は在宅で過ごす事なのであろうと思った。しかし今の時代、十月十日で生まれてくるとわかっている出産でさえ病院が主流なのに、いつ、どんな形でどうなるかもわからない最期を、在宅や訪問看護で出来るのか、とても不安だった。

そんな時、ある言葉を思い出した。もう何年も前になるが、ある人達の「実家の母が急に亡くなって、ショックで後悔ばかりで、少しでも良いから看病をしたかった、その時間が欲しかったわ」という言葉だった……。その時は「そういうもんかな~」と、思っただけだったが“後悔“とは残された者がするものなんだと思い、小谷先生に母の希望通りお任せする事にした。

暫らくの間は通院で、そして母の様子を見ながら往診へとかわり、介護認定を受け訪問看護が始まった。人に縦の物を横にされるのも嫌がった母だったため、自分の部屋に人が入って、あれこれと生活が変わる事は、かなりの戸惑いがあったようだが、看護師さんもヘルパーさんもとても良く母の性格を尊重して下さった。なかでも助かったのは、状態に応じて介護の日数や内容を迅速に見直して下さったことであり、次第に在宅での不安は無くなっていった。

ただ、確実に色々な面で衰えていくのは確かで、「ただいま~」と帰るより、「大丈夫だった?」と帰宅するほうが増えていった。だが、仕事があった事により、気を紛らわすことも出来たし、また、スタッフの皆さんとのかかわりによって、安心できていた部分がとても大きく、私にとっては心強かった。

そして、往診の回数も増え、自分ではなかなか身体を動かせなくなり、一日の変化がなくなってきても、日常の私達の声や、犬とのかかわりの中で、元気な時と変わらない気持ちでベッドにいたのではないかと思う。

最後の最後まで、点滴すら拒んで毎日少しずつ自力で水分を摂取しながら、「このままが良いよ、今は楽しいよ」と言っていた。最後の夜も、「もう私も寝るから、おばあちゃんもゆっくり寝なね。」と声を掛け、母は最期を迎えていった。訪問看護が入って、ちょうど一年が経っていた。

今思うことは、まず、ほっとしたということ。そして、母を診てくださった方々に感謝の気持でいっぱいだという事だ。きっと母もずっとあの部屋で、皆さんに感謝していると思う。本当にありがとうございました。

M.O