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コラム

3・11巨大地震体験記 その1

2011.5.22 / 9:12 AM

現代の私たちは、余りにも悲惨な出来事の連続を見てしまいました。

ひとつでもこの上ない大惨事なのに、地震・津波・原発事故の三つが短時間に次々とこの狭い国土に襲いかかり、未だに国民は鎮魂の三重奏を聴かされ続けています。発生当初は、コラムで触れるには大きすぎる話題で、触れるのもためらわれましたが、2カ月を超えてその頃の私の経験を記しておきたいと思います。

まずは改めてこの欄を借りて、被災された多くの方々にお見舞いを申し上げます。

以下の体験記は、「である調」での記載にさせていただきます。

3月11日当日は昼休みが終わって午後の診療を始めようとしたところだった。突然、クリニックが大きく揺れ、その瞬間に停電して院内の全ての機器が停止、かろうじて非常用ライトだけが頼りない光を発しているだけとなった。院内外ともに各種の音を発生する機器がすべて停止したわけだから、なんとなく不気味な静けさがあり、前の道路を走る自動車の気配のみが感じられた。建物の崩壊、「閉じ込められ」が頭をよぎり、院内にいるのが危険と思われ、職員と患者さんに出ていただいた。院内に残った患者さんがいないか確認した職員からの報告を待つうちに2回目の大きな揺れが襲ってきた。近くの交差点の信号は停電しており、余震による揺れもあるため車はゆっくり走行、歩道に集合した職員・患者さんを怪訝な表情で見ながら運転している方もいた。道路の向い側の薬局の職員も、歩道に避難して様子を見ていた。

しばらく見ていても停電は回復の気配なく、当日のその後の診療はできない旨、患者さんに伝え、帰宅していただくことにした。私の分担である内科外来は始まっていなかったが、他の小児科、整形外科、眼科、理学療法など、午後の診察開始後数分の間に既に診察を終えた方は、「まだ会計していないんだけど」という方、「直近の検診結果をもって相談に来たのだが、話だけでも聞いてもらえないか」「前回の検査の結果を聞きに来たんだけどそれも分かりませんか」等々の御希望もありましたが、いかんせん、すべてのコンピューターが停止しており、また、今 目の前にいる、車椅子の方々をどう帰宅させるか、明日からの診療をどうするか、を決めなければと思われ、全患者さんに一旦は帰宅していただくことにした。その後も、1回は大きな揺れと、数多くの小さな揺れがあった。車椅子の方も帰られることを確認し、職員は待合室に集合。

電話やデスクトップパソコンによるネットでのチェックはできないが、私などはできない携帯でのチェックを複数の職員が開始。東北地方太平洋側での巨大地震の発生と停電、各種交通機関の運行停止などが分かってきた。遠方から来る職員の帰宅の足を確保するため、自動車通勤の職員の車に分乗することにし、最低限の片づけをしてまだ明るいうちに帰宅することにした。停電回復の目途が全く分からないため、不確実ではあったが明日以降の診療は行われる前提でできるだけ出勤するように伝えた。クリニックの入り口前に、津波に備えて砂嚢を数個積み上げたが、その後の東北地方の海岸での津波を見ると、こんな砂嚢くらいではどうにもならない巨大な津波が来得ることを後になって思い知らされることになる。ちなみに私の携帯は地震発生直後から【圏外】としか出ず、全く機能しなかった。全く同機種の携帯が同一場所で機能していたのに、私のは何度試みても【圏外】としかならない。集中を避けるため、私のを含む一部の携帯が利用できないようにされているのかとさえ思われた。医師会の連絡網に登録してある携帯なのだが、その連絡網から外れてしまいそうだ。

職員にはここ数日の緊急連絡体制確立のため、電話だけでなく携帯、メールも記載してもらった。

クリニック全職員の帰宅を確認後、徒歩で数分の法人内他事業所、訪問看護ステーションのぞみ、居宅介護支援事業所のぞみ、デイサービスつくしんぼを見に行くと、それらの周辺は埋立地のため、ひどい液状化現象で惨憺たる状況、建物は道路から20cmほど浮き上がった状態であった。近隣のマンションも被災しており、倒れた街灯、道路の亀裂、歩道の凹凸、2層式駐車場の持ち上がり、流動化で地上に噴き出た泥・・・、極端なところでは、あるマンションは周辺の地盤沈下は数十cm~1mに達しており、1~2mも持ち上がった2層式駐車場もあった。「東北ならぬ横浜でも被災地があった」とのことで、後日テレビにも頻回に報道されることとなった現場である。住民は信じられない光景を見る面持ちで、茫然と立ち尽くしていた。なお、今になって思うに、あの津波が当地にも襲ってきていたら、私たちの事業所は全て、海に近いので大惨事になっていたことになる。津波を警戒して、高台の方へ行くべきだったのかもしれない。

夕方、車で帰宅の途についたが、信号が停電で機能せず警官が誘導している交差点が幾つかあった。また、クリニック周辺は停電したので殆どの地域で停電しているものと思っていたのだが、区内の隣り合った地域でも停電のある地区、ない地区が混在しているようであった。

帰宅してみると、自宅も停電。調理ができないためスーパーで買ってきたパック入りの惣菜を、ろうそくの灯を頼りに食べたが、あとは入浴も読書もテレビも不可能で早めに寝ることとした。夜8時半ころだったか電気が復旧し、クリニックの異変の確認に動いた。とんだ一日だったが、もう一つのエピソード。私の子供たちは横浜と東京にいるが、横浜の子供たちはすぐ近隣なので安否確認に手間取らなかった。しかし、東京の息子はちょうどアメリカに1週間の予定で滞在中だったが、その嫁の安否が当方ではなんとも確認できなかった。在米の息子から横浜の息子に何度かメールで問い合わせが来たがこちらでは確認できない旨、知らせていたところ、在米の息子からメールで嫁の安全が確認されたとの連絡を受け、当方も安堵した経緯があり、日本にいる者の安否確認が日本にいる者よりも先にアメリカにいる者の方がつかめたというオソマツな話ではありました。

以上が巨大地震第1日目の動向でした。コラム欄に乗せるには冗長な駄文ですが、お付き合い下さりありがとうございました。近日、2日目以降の動向を御報告いたします。手短かにしようと思っています。

院長 小谷利克